シバブログ

日常で感じたこと思ったことを書いています

継続の方法その2

その1があったかどうかは忘れたのですが、継続するにはどうすればいいのかということを改めて考えてみますと、それによって得られる効果があるということをある程度理解しておく必要があります。

 

文章力が向上する、知名度が上がる(ゆくゆくは)、金持ちになれるなど、何でもいいのですが、問題はそれらのことがあまり大したことのないことのように無意識的に行動してしまい、まあ、やらなくてもいいかということに陥ることです。

 

ですので、これをもっと強力にするには、文章力が向上する→書かないバカになる、知名度が上がる→誰からも相手にされなくなる、金持ちになれる→ホームレスまっしぐら、などとしてあげると、脳が勝手に反応してこれはマズいぞということになり、継続できるというものです。

 

しかし、これらの方法というのもいくらか弊害というものがありまして、基本的に恐怖を刺激して脳を動かすということになりますから、観念、何だか難しい言い方ですが、あまりにもネガティブな言葉を使いすぎるというのも、脳がそのように反応してしまい、結果悪い方向へと行動や選択をしてしまうということがあります。

 

ただ継続をするのでしたら、画面を開く、単純に書き始める、アップロードするといった手順で淡々と進めるというやり方でいいんだと思います。

 

よく、書くことがない、何をしていいのわからないというのも、それは、材料となるものがないからなのです。考えるにも材料が必要なのです。あとはそれを適当に当て嵌めていけば完成になります。慣れれば、書き始めるだけで何かしら出てくるという状態になります。どうやらそのようです。

 

数ヶ月まえから、将棋を始めたのですが、どうすれば強くなれるのかというので、随分悩んでいました。てか、今もそうかもしれません。プロは数十手さきが読めるという話を聞いて、どうやったらそんなふうになれるんだろうと思って、いろいろ上達のコツなどを検索していたのですが、

 

結果てきに判った方法は、定跡を覚えるということでした。定跡というのは囲碁や将棋などでの対戦の経過を棋譜で表したもの、つまり、過去に棋士が指した将棋のパターン、それを覚えるというものでした。将棋を指すうえでもその材料がないとどうにもならないということでした。

 

ですので、全てはその材料を仕入れてくるというところから始まります。だれかが、「人生は仕入れで決まる」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。これは商人の考えかもしれませんが、材料がないとどうにもならないということはここでも共通することです。

 

料理と同じようなものでしょうから、文章を書くためにはそれに必要な知識や経験などがあればいいということになります。限られた材料でも、何かしらはできるということです。それを考えるといいます。

 

そんなわけで、明日はプリンを作る予定ですが、ゼラチンが必要とのことだそうで、これを仕入れてこようと思います。作ったことがないのですが、食べ応えのあるものを作りたいと思っております。

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感情がないと書けない

何の感情も無しに書き始めるという人もいるのかもしれないが、そのような場合ではいったい何を思って書いているのだろうかと思ったりします。特に、動きのない文章や何を伝えようとしているのか、遠回しになりすぎてよくわからないものです。この文章も何の考えもなしに書き始めているのですが、本当なら目次などの構成を考えてから書き始めるのが普通です。それでも、ただ書き始める、何でもいいから書いてみるというのは一つの衝動なのかもしれません。衝動ということになりますと、わたし的にいわゆる芸術てきな感覚に分類されるのですが、何かしらの気持ちのようなものが動いていないと或いは起さない限りどうにもならないのです。やはり書くということも表現なのです。感情的な人間になるというよりは、考えそのものが消滅するといったものです。

 

感情ということであれば、文章にも動きがなければならない、そうあるべきなのだと思います。ミュージシャンなんかも同じです。椎名林檎さんなんかも、昔はよく動いていた印象でしたが、いつのまにやら直立不動で歌うようになっていましたので、それと同じくコンテンツの内容そのものにもやはりアクションが必要なのです。そうなると実際にやってみたでのレポートみたいになりそうですが、過去の記憶や経験なんかでも十分にいけるものになるかもしれません。しかし、そうなるとかなり面倒になってくるどころか、わたしの場合だと続かないということになりかねないので、せめて、心、感情だけでも動かしていこうと考えているのです。

 

で、今上がるのかといいますと、どうしても上がらないわけです。感情が動くことってそんなに毎日あるわけじゃないからか、或いは、テレビというものを一切見ないからか、ドラマチックな毎日というものを全然過ごしていないということなのです。まあ、こんなど田舎でいったい何をするんだということもありますが、あったとするとフィジカル身体的に何かが起こらない限りわたしの人生には何も人の興味を示すようなものが書けないということなのでしょうか。そういえば、有名ブロガーになってくると結構ハードなことを実践してみて記事にしてアクセスを稼いでいるという人が結構います。とてもまねできないどころか、決してまねしないで下さい、とまで、本人が言っているくらいです。まあ、やりませんが、生きていて心が動くことをアクションに求めるということは誰でもできるのかもしれませんが、誰もやりたくないことではあります。

 

できれば、もっとポジティブな感情のものがいいわけです。ゲテモノ喰ってみた的なものは絶対にやりたくないんです。アイデアだけは思いつくのですが、絶対にやりたくないことばかりです。誰かにやってもらってそれを記事にするとかできないものでしょうか。それもまた手本を見せないやってくれはしないでしょうから、こうなったら、最もハードルの低いことからやるしかありません。

 

そういえば、プリンをつくる予定があったので、それをやってみる。ただのプリンじゃ面白くないので、マンゴープリンを乳製品なしで作る。でやってみようと思います。なんとしてでも、これは美味しいじゃないかというのが伝わるようにします。なんだかハードルが上がってしまいましたが、プリンを作ることは確実に予定していますので、何とかなると思います。

 

まとめ

今回はまとめを書きたいと思います。どうすれば生きた文章が書けるのかということから、それは、何も考えず書き出せばいいということになって、やはり感情が動かないとダメだということになり、感情が動くことは行動で示さなければということになってからの、行動とは普通の人がやらないことをやるものということになりの、それはちょっと無理すぎるから、プリンを作るならできるということになりました。

 

乞うご期待

京都からの脱出

引っ越すことにしました。ここ京都に引っ越してきたのが去年の冬、あまりの寒さに驚いたのですが、それよりも夏の暑さが異常でした。マンションにはエアコンが設置されていなかったこともあり、まあいいかでそのままにしていたのですが、去年の夏は本当にヤバい状況でした。家の中はまだマシでして、外はもうちょっと歩いただけで日が暮れるのを日陰で待とうと思ったくらいでした。で、その夏がそろそろ、本格化してくるようですので、このタイミングで脱出をすることになったのです。

 

それとは関係ないのですが、先日、同居しているパートナーの友達というのが急遽、訪ねてきました。最初はその女たちどうしで飲みに行くという予定だったのが、家飲みでいいんじゃないかということになって、何とここにきて初めて来客というものがあったのです。簡単なつまみ、カツオのたたきなどを出したのですが、人をもてなすという経験があまりないためか、どうすればいいものかと思ったのですが、結局は普段の自分が食べているものをそのまま出すという結果になったのでした。いつも飲んでいるワインの1リットル瓶を2本程度と割るようの炭酸とウイスキーハイボールを作りました。

 

どうやら、その友人は引っ越すということを話していなかったようなので、驚いてましたが、朝方にタクシーを呼んで帰っていきました。

 

京都に住んで見たいなんてことを言っていたので、絶対にやめたほうがいいと念を押してしまいましたが、わたしも過去に京都に住んでみたいなどと友人に話したら、えっ都落ちなんてことを言われてしまいました。その忠告を守っていればよかったのかもと今では思いますが、本当にその土地がどうであるかは住んでみないことにはどうにもわからないものです。東京にしても、都会で便利なのですが、環境が非常に悪く、部屋には空気清浄機は導入したほうがいいというのが正直なところです。もしも、どうしても住むなら中途半端に下るよりは、中心部に住んだほうがいいのかもしれません。渋谷とかです。

 

京都は田舎でした。すぐに山がありますので、空気も環境もまえに住んでいたところよりはマシになったのですが、良い意味での田舎というわけではありませんでした。住んで人のよそよそしさも含めて、買い物も便利がいいわけでもなく、物価も高く、もしかしたら、となり滋賀のほうが良かったのかもしれません。

 

住めば都とはなりませんでしたねえ。で、その住めば都というのは本当は、住まば都の誤りだったようで、住むなら都に限るというのが本来の意味だったのだそうですが、それがいつのまにか、たとい住みにくい場所でも慣れてくれば住みやすくなる、というまさに今の京都にぴったりの言葉にとって変わったようです。

 

寺社仏閣が充実しているということですが、結局、有名どころの金閣寺はまだ見ていないという状況でした。岡崎公園のあたりはけっこう好きでした。比叡山にも登っておきたいと思ってはいますが、ここを出る前に、何か一つくらいは京都の良いところを発見したいと思います。

 

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自己認証とは何か

本当は自分の分を知るという内容で考えていたのですが、色々と調べていくうちに自己認証というは承認欲求のうちの一つということが判りました。最近どこでも話に聞くエイブラハム・マズロー欲求五段階説の話です。何だか難しそうですが、つまり他人に認められたいという欲求なのだそうです。このことを発見したこと自体はすごいことなのかもしれませんが、普通に生きていればよくあることです。

 

一般社会という集団の中に生きていれば、その中で自分が優れているのか劣っているのかということを誰でも思うわけでして、もしも他人からの評価なりが低いということになりますとそれはもう満たされないどころか、その場にいることさえ苦痛になるということになりかねないわけですが、所詮は欲望ですので、実際には脳の中で起こっている、心が反応しているという現象なのです。

 

それら全般的に他者承認と呼ぶのだそうですが、それにトリガーされている人たちってのが3つに分類できるということで,一つは上位承認、次に対等承認、最後に下位承認ということになっています。

 

そのまま抜粋して解説しますと、

上位承認というのはナルシスト傾向の強いひとで、他者に対する猜疑心の強く、他人が信用ならないから自分がそれを支配する存在でありたい、のだそうです。

 

対等承認というのは、平等フェアでありたいというよりは、人並みになりたいという劣等感からきたものなのだそうです。

 

下位承認というは被虐的な性癖を持つ人も含まれるそうですが、社会的、道義的な責任を負いたくないという人間で、他人に依存したい、保護されたいと思っている傾向があるのだそうです。

 

まさに世の中って感じですが、凡人の考えることを分析した結果こうなったということなのでしょう。100年くらい経ってもこの理論が通用しているのはいかにこれが本質をついているかということでもあります。或いはそのように仕向けられているのかもしれませんが、消極的になればなるほど他者承認ということになってくるのでしょう。

 

今回は他者承認ではなく、自己承認について書こうと思っていましたので、ようやくその本題に入っていきたいと思います。前述しました、他者承認は上位、対等、下位の三つに分けられるということで、それらどれをとっても立派なものではありませんでした。戦々恐々としているしているだけで、これではもう動物と変わりません。

 

ナルシストにしても人並みを求める劣等感にしても被虐的な無責任無頓着な人にしてもロクなものじゃないことは明らかですので、何としてでも他者承認という低俗さから抜け出さないことには、言ってしまえば不幸な人生であることは間違いないのです。中には社会的に成功している人もいるのかもしれませんが、それは単なる野心に過ぎないので、それが崩れたらおしまいなのです。一時的に勝った成功したとしてもそれが恒久的に保証されているなんてことはありえませんので、どんなにナルシストであってもそれが崩されたら終了ということになります。

 

で、その自己承認ですが、どういうことなのかといいますと、自分の分を知るという意味なのだそうです。分を知るというと何となく制限付きなイメージに捉えられることがありますが、自分がいまその位置にいるのかということを冷静に認識するということですので、アンビション(野心的)で身の丈に合わないことをやるということではないのです。また、他人に対しても消極的なネガティブな考えというものがあるわけではありませんので、他人の失敗を喜ぶなんてこともないわけです。

 

最近気になっているのがタイガー・ウッズの話なのですが、これもよく聞くことなのですが、彼は対戦相手のプレイに対しても「はずせ!はずせ!」なんてことを心の中でも念じたりはしないのだそうです。逆に「入れ!入れ!」と思っているのだそうです。これというのは、彼自身が対戦相手に対しても非常に高い基準と質の高いプレイを求めているということでもありますが、もしも、彼が逆に対戦相手がパットを外して優勝してやったやったと喜んでいるような人でしたら、当然成功などしていなかったと思われます。何もこれは人間性の話ではなく、これこそがまさに自己承認をしているということなのです。自分の存在が自分の求める理想とする自己像になっているか、ということで自らを承認するわけですから、他人からの承認ではなく自らを承認しているということになります。

 

野心というは身の丈にあわないということをするわけですから、結果てきにはその人の人生は不幸になっていくわけです。いきなり、150キロのベンチプレスを上げろと言われても無理なものは無理なのです。そのことに満足できないと言っているのがアンビション(野心)なのです。そう考えると本当に意味がないものです。

 

つまるところ、劣等感というのも結局は自己承認の問題なのです。あたかも、強い野心が人を成功させているなんて考えられていますが、実際にはみな冷静に自己認証してきたということなのです。成功とはつまりその結果の連続なのです。

 

さらなる高みを目指すもよし、今を喜ぶもよしです。

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ライターなどの仕事をやってみて思ったこと

そうです。ライターというものを初めてやってみました。去年の暮れあたりにオーディションのような試験をやって、それで合格したんでそのまま続けていました。しばらくして、他のジャンルの募集があったので、仕事の本数増やすためにそちらのほうも希望したところ、若干ですが、1文字あたりの値段が安くなったうえに、編集サイドとの相性が悪く、結局は辞退、やめるという決断をしました。

 

結果てきには良い経験になったのですが、サイトを量産してそれを販売するというものでしたので、そこまで文章クオリティが求められておらず、編集者の変な世界感のようなものがあるようで、それがどうしても合いませんでした。こちらが書いた文章も全く使われず殆ど変更されていたようで、これだったら何も発注かける必要もないのではないのではということになり、何だか、先方が上から目線になりだしたので、ああ、潮時かなということになりました。

 

こればかりはやってみないと分からないことですが、ライターにも色々あるということです。書き手なのか、編集者なのか、個性が求められるのか、求められないのか、というように、ライティングにも種類があるらしく、ウェブライティングに関してはほぼ無個性なものが求められるようです。ようはクライアントの要求に何でも答える人ってことになります。まあ、言ってしまえば靴でも何でも舐める人のことです。その編集をやっている人にいわせると、文章の下手な奴ほど稼いでいるのだそうです。トップレベルの人たちは違うのでしょうが、ちまたの使い捨てのゴミカスのライターなんてのは、そのようなものです。

 

世の中からは求められていないが、クライアントには求められるという無難で中身のない文章のことです。やたら見た目など、デザインにはこだわっているわりに文章が横に広がるばかりで言いたいことが何なのかわからないというものです。自分がない、何の主張も信念も持ち合わせていないというものです。

 

無個性な人間が作るものって結局つまらないんです。つまらない作業からつまらないものができるのは当然ですが。ウェブライターなんていうのもそのようなものなんです。人間がやらなくていいようなことをわざわざやっている。たとえウェブのライティングでももう少し面白くてもいいんじゃないかって思うんです。何をそんなにカッコつけているのかが理解できないんですが、どうせバカなんだからもっと遊んだらいいんです。

 

新聞記者をやっている人なんてのも、結局は文章が下手になるそうです。下手かどうかは個人差でしょうが、新聞社では自分を出さない文章に矯正されるので、あとあと文章を書くようなことになっても、読み手からするとたいへん面白くないものになってしまうのだそうです。文章を書くということは非常にテクニカルなことだと思われがちですが、実際にはとてもクリエイティブ系なんです。スタイルや形式なんてものはあってないようなものです。それでも、論理的である必要はあるとは思いますが、基本何をしても構わないどころか、実はあまり決まっていないんです。誰々が言うからなんてのもそいつが勝手に言っているようなものです。ようは伝わればいいんです。

 

最後に、ライターをやってみてどうだったのかですが。少しだけなら経験してもいいかな程度です。文章力は上がりません。文章の量を書くのは苦ではなくなりましたが、例えば、10,000字書いてくれと言われても普通に書けます。ですが、とにかくリサーチがキツかったというのがあります。ウェブ上でリサーチをするのですが、誰が書いたかもわからない文章を読まなければならないのがとても苦痛でした。

 

何はともあれ、吹っ切れたようです。もう、だれのいうことも聞かない、己の好きなように信じるがままにやっていこうと思います。

CDプレーヤが逝ったので、ipodを古いアンプに接続する方法を考えた

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かれこれ、どれくらいの間使っていたのだろう、

買ったのが2005年くらいかそれよりも前か、

少なくとも10年以上まえからあることは確かです。

 

CDといっても、当時はDJてきなことをやるのが流行っていて

もう1台同じプレーヤーがあったのですが、真ん中にミキサーを置いて

bpm、曲と曲の速度を合わせて繋いだりしていました。

 

今となってもうやらないだろう、そのミキサーも出来れば処分したいと

思ってはいたのだが、CDプレーヤーのほうはそのまま使っていました。

CDJとしてではなく、CDプレーヤーとして。

 

CDといえばCD-Rをわざわざ焼いてから再生するということを未だに

行なっていたのですが、そのCD-Rも日本製は無くなってしまいました。

100枚入りの太陽誘電のCD-Rがまだ70枚くらい残っているのですが、

これも必要無くなりました。

 

CD無しでも、音は鳴るのです。

で、このような装置を発注してみました。

左がその装置レシーバーです。

右は前から持っているipod nanoです。

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スピーカーとアンプは今あるやつを使いたいので、

赤と白の端子が必要でした。

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端子が付いているものを探してみたところ、

2つの候補が上がりました。

 

1つはアダプター電源のもの、

もう1つは今のやつで、USBで充電するタイプです。

 

結局はデザインで選びました、

前者は表にBluetoothのあのマークが大きく入っているもので、

なんか、ベルセルクに出てくる「烙印」に形が似ていて

こんなに強調する必要がどこにあるのかと不思議に思ったので、やめました。

 

今回、選んだもののほうがデザインもシンプルで、

充電しながらも再生可能とのことでしたので、それだったら、

機能的にあまり変わらないということで、充電タイプを選びました。

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さっそく再生してみることに、

記念すべき最初の曲は何にしようかと、

とりあえず経験してみろってことで、

Jimi Hendrix ExperienceでAre you experienced?

をかけてみました。

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ちゃんと鳴ってるようです。

 

線も何もないので、なんだか妙な気分です。

「どこから音が出ているんだ?」

 

テープに録音していた時代を考えますと、

非常に奇妙なことが起こっているようです。

 

10メートルの範囲内で通信可能とのことですが、

となりの部屋からでも、曲の選択などの操作ができます。

 

これからは、いちいちCDを変えなくてもいいということになりました。

 

bluetoothという電波を飛ばしているようですが、

以前は、家の中で電波が飛んでいることの悪影響を心配してましたが、

最近ではあまり気にしないどころか、どうでもよくなりました。

 

なんでも、世界には電波過敏症という人たちがいて、

彼らはWi-FIなどのちょっとした電波でも

肉体が拒絶反応をおこすのだそうです。

 

そのような状態にありますので、とにかく

Wi-Fiがあるところには住めないとのことです。

 

一切電波とは隔離・拒絶されたコミュニティー、

集落を作って住んでいるらしいのですが、

 

アメリカでしたら、

アーミッシュの人たちの居住区に行くしかないでしょうか。

彼らは文明の進化などテクノロジーとの拒絶をし、

車ではなく馬車で移動しているそうですが、

 

家でも確か薪とか燃している?

台所とかは普通だったかもしれませんが、

基本てきに電気◯◯は無かったと思います。

彼らは頑なに文明の利器というものを拒絶している

わけですが、

 

拒絶という点ではわたしも似たようなものだった

かもしれません。今回のことは、

彼らにとっての馬車を自動車にする、

それぐらいのインパクトがありました。

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以前から使っているアンプなど(そんなにこだわってはいない)

が使えたのは良かったです。

 

スペースが広くなったのもいいです。

 

音質は少しこもった音になるかなと思っていたのですが、

これといって特に問題ないようです。

 

わたしのようにアンプに繋いでいる人もあまりいないと思うのですが、

もしも、壊れかけのCDプレーヤーを無理やり使っているようでしたら、

レシーバーをお使いになることをおすすめします。

Macでは音声入力が可能!?わりと高性能なのに誰も使っていない時間短縮の3つの手順

Macでは音声入力ができるらしい、

ということでこの記事じたいを音声入力でやってみることにします。

 

音声入力で記事を書くスピードは上がるのか、

いま実際にやってみと思うのですが、

 

少し慣れが必要かもしれません。

 

この機能を使ってブログを書いてる人は

結構いるらしいのですが、

 

キーボードがうまく使えないという人が

音声入力をつかいこなせるようになるためのもの、

 

というわけでもないようです。

 

結局は改行は自分でやらなくてはならないし、

何を描いていくかということに関しても考えながら

やる必要があります。

 

また、音声がそのまま文字になるということで、

不自然になって意味が通じないのではという

不安もあったのですが、

 

自然カ不自然かで言えば、口語調にはなりますので、

比較的自然な感じにはなります。

 

また、慣れさえすれば大量の記事が量産できそうな気はします。

 

ブログでは文字数を1,000文字以上書かないと

良質の記事と判断されないという話も聞きます。

 

ですので、ただボリュームを増やすということだけなら、

非常に効果的なツールであるということがいえます。

 

ただ、時間の面においては、

 

文章を修正したり加筆する手間を考えますと、

30分以内で仕上げるというのは難しいかもしれません。

実際にかなり修正しています。

 

それでも、キーボードで入力して書いてるときよりも、

ストレスなく書けていると思います。音声の入力機能の

完成度の高さもあるかもしれませんが、書き出す前の

身構える感じが無くなります。

 

で、そのやり方はどうなるのかといいますと

 

1:ファンクションキー用2回押す

 

2:設定画面で音声入力を入にする

 

3:マイク入力の設定をする

 

以上です。簡単です。

 

使うときはファンクションキーを2回押せばそれで使えるようになります。

 

やってみて思うのですが、ちょっと感動します。

 

ただ指を使わないだけのことですが、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅を思い出します。

 

ライティングだけでなく、読書にも応用できそうです。本に書いてあることでメモしたいこと、ここは重要だという箇所を記録する際にも使えそうです。

 

文章のクオリティに関してはどうなのか、これは画面を見ながら執筆しているわけですから、そこまで普段書いているのとの違いはないようです。

 

手直しは必要ですが、普段から文章を書く人にとっては、別の刺激にもなるので新しい発想が生まれるかもしれません。

 

書くスピードで言ったらかなり速いほうになると思います。

 

まとめ

 

最初はどのアプリで入力するんだ?と思ったのですが、

どうやら何でも入力できるようです。

 

ワードでも普通に入力できました。

 

便利というよりは革新的でした。

 

追記

結果的には2時間くらいを費やすことになりました。話しながら入力するのと、書くのではそもそもの言葉が違うのかもしれません。よく、書き言葉、話し言葉、って言いますので、慣れれば速くなるのかもしれませんが、書き出す前のうう〜ってのは無くなったのですが、直しに時間はかかるようです。

 

しば

ドーナツに学ぶ即席SEO記事3つの書き方

どうすればアクセスが集まる

ということになりますと、

検索エンジンにかかるという

話しがよく出てきます。

 

あらゆるSEOのテクニックが

登場しては消えていったようですが、

 

概念としてのSEOは理解できても、

でどうしたらいいんだということに

なるわけです。

 

キーワードプランナーを使えばいい

という話しを聞いて、やってはみたものの

効果が出たということでもなかったので、

キーワードの選択に問題が あるのかもしれない

と考えたりなど、

 

競合の激しいキーワードを 選択してやいないか、

じゃあ競合の少ない ほうにしようとも考えたり

もしましたが、

 

それだと、マニアックで相手にされないんじゃないか、

ということになってしまいます。 では、具体的には

どのような手法を とっていけばいいのか、

今回は説明していきたいと思います。

 

 

1:ドーナツで考えればわかる

ドーナツには穴が空いていることで、

ドーナツ化現象」というような形で

使われることがよくあります。

 

SEOというものの考え方も似たようなもので、

真ん中には穴が空いている、というように

考えてみることにします。

 

ここで言うドーナツとは、甘みの部分ですが、

本来は中心にも生地のドーナッツがあり、

そこは既に食い尽くされていたということにします。

 

なぜ、真ん中が食い尽くされてしまった

のかといいますと、

 

・競合他社によって既に参入がなされている

・お客の囲い込みが既に完了している

・競合他社の商品が強すぎる

 

などがあります。

 

ですので、このような危険地帯からは

一刻もはやく抜け出して、あまりライバルの

強くないやや外側の甘みの部分に行った

ほうがいいということになります。

 

基本的な考えかたとしてはこんなところです。

 

2:誰でも思いつくキーワードはレッドオーシャン

キーワードに限らず、「そんなことは当たり前だ」

という記事であってはならないということです。

 

やはり読まれる記事というのは、

「少し逸れた感覚」というものが

必要になってきます。

 

ようするに、ありきたりの情報を

ただ貼り付けただけのコンテンツ

というものは、

 

誰でも簡単にスルーしてしまうものであり、

これをよく「直帰率が高い」 というように

言われたりします。

 

アクセスはあったのだけど、

読み手からしてみたら役に立たない、

読むに値しないという記事のことです。

 

それというのも、 キーワードの選択の時点で

問題があるということが言えます。

 

3:学んだことは3人に話せ

これは、島田紳助さんが

話していたことですが、

 

よくたくさんの本を読んで

勉強していると言われるのだけど、

そのようなことはないそうで、

 

ただ、素人が知らないけど

ちょっとした通なら知っている、

ということさえ知っていればいい、

のだそうです。

 

彼は野球の知識など全く無いのだそうですが、

普通の人が知らない選手の名前を知っていて、

その人の話しをするだけで、野球好きの人は

食いついてくるのだそうです。

 

専門家にならなくても、相手に専門家

のように思わせることが出来るのだそうです。

 

さらに彼は、あたらしい知識を得たときには、

必ず3人に話すよう心がけているそうです。

 

そうすることで、自分の知識になっていくとも

語っています。

 

まとめ ドーナッツの真ん中は空洞なのだから、

考える必要はないということになります。

以前でしたら、ニッチを探せだとか、

差別化をしろ、などといったことが

散々いわれてきましたが、

 

言ってしまえば、誰でも知っているスタンダードな

部分ではなく、ややマニアックな情報を人は求めている

ということになるのだと思います。

 

何かについて学ぶ、基礎から学ぶ、

完全にマスターする、専門家になる必要は

全くないということです。

 

コミュニケーションでも、

当たり前のことしか話さない人がいたら

気持ち悪いのと同じで、興味がわかないどころか

時間のムダということになってしまいます。

 

誰とでも話せる人というのは、

人がそんなに知らないことを

ほんの少し知っている程度なのです。

 

これは、テレビの芸能人を見ていればわかりますが、

◯◯の専門家というようなイメージをつけて、

あとは知名度で何とかするといったようなものです。

 

実際にはそんなに知らないのです。

逆にそれだけで十分なのです。

 

アクセスアップの方法らしくはないかもかも

しれませんが、効果はあると思いますので、

ぜひ、やってみてください。

 

しば

ライティングで「マナー」や「ルール」といった単語を使う人は論理的に破綻している

最近、ネットで調べ物をしていても、得たい情報にたどり着くのが難しいと感じることがあります。情報量が増えたということではなく、単純に役に立たない情報が検索の上位に上がってきているというのが現状のようです。

 

なぜそのような現象が起きているのかといいますと、そのようなサイトが何者かによって大量に作られているということらしいのです。よく募集しているクラウドソーシングでのライター募集というのがそうなのですが、

 

中身はといいますと、募集しているのは、プロのライターではなく、一般の主婦、ニート、学生、リーマンなどです。最近では無職の人もそうなのかもしれませんが、これらは、一文字0.25円といったようなもので、非常にギャラも安いのですが、彼らのちょっとした副業(稼げないけど)には丁度いいものとされています。

 

何でも素人でも書けるのがブログ記事なのですが、それを例えば「◯◯をするための3つの方法」などと、ハウツー的な文章でライトな見出しをつけていけば、あっという間に完成とうことになります。

 

そのような記事を入稿していくわけですが、ではその元締めは何をしているのかといいますと、原稿内容をチェックして、貼り付けるだけということになります。ようは、テーマに沿った記事を募集して、サイトにアップする、或いは記事の募集に対して仲介するといったようなことをやっているようです。

 

そのサイトは何のために作るのかといいますと、広告を貼り付けてアクセスを集める、たったそれだけということになります。主婦たちによって、量産されている記事も他のサイトを参考にして書いていますので最近それが増えすぎて、これだといった情報を書いたサイトが後ろになってしまっているのが現状です。

 

まあ、SEOのために集められた人材なのですから、マニュアル通りにやっていればいいわけで、その記事の内容に関してはあまり考えられていない、求められないということになるのですが、最終てきにこれが、どういった結果を招くかといいますと、

 

そのようなサイトのアクセスに制限がかかるということになります。

 

過去にもそのようなことがあったわけですが、現在ではさらにそのスキマを狙うような戦術が行なわれているということになります。

 

まさに、ゴミの再利用ビジネスです。

 

SEOに特化したサイトを量産する場合、とんでもなく文章の上手い人間よりは、無能な人間であればあるほどいいということになります。

 

そのデジタル奴隷たちが作ったサイトはどうなっているのかといいますと、

 

・内容がスカスカ

・何を言っているのかわからない

・肝心なことを書いていない

・見出しのセンスがない

・単語の使い方が気持ち悪い

・やたら「ですよね」の語尾を使う

 

などの問題点があげられますが、特に彼らの使う言葉でイラッとするのが、「ルール」であったり、「規則」、「法則」だったり、とにかく、切れ味のない、曖昧な単語を使っているところにあります。

 

例えば「著作権」などの問題について調べたとします。その場合ですと、法律に関することになりますので、当然、論理的に書かれていないとおかしいわけです。

 

「マナー」「ルール」そのような単語で多くの人が検索をしている、という理由で、元締め側がキーワードを指定したということも考えられますが、こちらとしましては、法律のこと調べて「マナー」的にどうかと言われてたら、「そんなもの知るかバカヤロー」といった話しになるわけです。

 

こっちとしては事実が知りたいわけです。曖昧な表現では困るんです、適当に書いて、そうですよ、「自己責任でお願いします」でなんて書かれでもしたら、「ライターなんかやめてしまえ」ということになります。

 

教育の問題なのかもしれませんが、そのような連中が今後もはびこるようでしたら、こちらがそのようなサイトにとって変わるというとこをしなければなりません。役に立つようで何の役にも立たないサイトが増殖されると時間のムダになるので、何としてでも駆逐しなければなりません。

 

グーグルがまた新しい手をうってくるということもあるかもしれませんが、それによって、事実が書きにくい、表現に制限が追加され表示されないということになると、逆にサイトが作りにくいということになります。

 

さらに言えば、アクセスを集めるということが個人では難しくなる、という仕組みになることも予想されます。できたとしても、時間がかかるなど、裏技てきなことが一切無効になるなどです。

 

そうなってきますと、もう広告を出すしかないという話しになってきます。或いは、紹介してもらうかということになりますが、そう考えますと、現実のビジネスにより近い状態になる、近づいているのかもしれません。

 

ということになりますと、今のうちに個人のメディアというもの、ブログでもなんでもいいので作っておいたほうがいいのかもしれません。そのうち、良質なサイトは人工知能に判断してもらうという時代になると思われます。

 

そのような時代になったら、今あるようなサイトは存在しないのかもしれませんが、さらに、情報の価値と向かい合わなければならないということになります。

 

漫画家でしたら、連載されるといったようなレベルになってくるのです。

 

なので、クラウドソーシング側のほうでも「こんな記事では出せない」、とハードルを上げるしかないのです。

 

しば

トランポリンに特化したブログにしようかと思う

シバです。

 

実を言いますと、

トランポリンの購入は2度目です。

以前このブログでも書いたのですが、

 

1万円くらいの物を買って

使ったにもかかわらず、

たったの3ヶ月で壊れてしまった

ということがあり、

 

随分と迷ったのですが、

運動しないよりはマシだろう

ということで、3000円位のものに

しようということになりました。

で、さっそく発注しました。

組立時のバネの反動

3日くらいしたら届きました。

2人で組み立ててください。と、

書いてありましたが、

 

面倒ですのでわたし1人で何とかすることに、

 

4つに折りたたんであるものを

一枚の円形に張るので、

そのフレームにしても、

頑丈に出来ているようで、

 

簡単に手で押さえつける

というよりは、足で体重を

かけてバイーンと押さえつける

というやり方になります。

 

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ゴム足が床にへばりつく

フレームとバネと膜は張れたのですが、

問題は足のほうです。

 

これは前回の反省をいかして、

というよりは、

 

前回は床に何も敷かずに

使用していました。ところが、

そのゴム足のゴムが床にへばりつく

という事態が発生しました。

 

まあ、後で拭けば落ちるだろうと思いきや、

落ちない。あの手この手で擦り続け、何とか

落とすことができたのですが、

 

ゴムの質の粗悪さでしょうか。

 

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マスキングテープによる対策

ゴム足のゴムが直接面していなければ

いいわけですから、紙で覆うか何かすれば

いいということにしました。

 

それでも予想されるのは、

何度も飛んでいたら振動なり圧力で

紙に負荷がかかり、最後はビリっと

破れてまたゴム足がむき出しになり、

 

あの忌々しい黒いカビのようなゴムが

床にへばりつくということを予想しました。

 

そこで考えたのが、ゴムにマスキングテープを

直接、貼り付ける方法です。

 

2重か3重にしておけばちぎれる

ことはないだろうと、しかし、

 

どうやって貼っていけばいいのかで

悩みました。

 

私の性格の問題かもしれませんが、

こういったものでも美しくに貼られていないと

どうもダメでして、

 

結局は、テープに数か所の切れ込みを

ハサミを使っていれてから、その上からも

重ねて貼るといったやり方を採用しました。

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カバーの色が思っていたより中華風

購入時、色は数種類選べるというものでした。

 

で、グリーンを選択したのですが、

 

一言でダサいんです。

 

なぜこのような緑になるのか全く理解ません。

なんていいますか、いかに適当な人間が作ったのか、

その色を通して伝わってくるんです。

 

本当に何も考えないで、何世代にもわたって

この調子だったのか。とにかく繊細さのかけらもない

というが、いつの時代、おそらくは「宋」が滅ぼされてから、

中国ではなくなってしまったのか!と思うくらいです。

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写真だと普通に見えるのですが、実物はこんなものではありません。

いっそのこと外すことにした

こうやって使う人はいないんじゃないかと

思うのですが、カバーは外して使うことにしました。

 

そんなむき出しで大丈夫なのかと思われる

かもしれませんが、想像以上に頑丈にできてるようです。

そこだけはちゃんとしようと作り手が考えた

のかもしれませんが、

 

カバーなしで直にバネのあたりを足で踏んだとしても、

問題ないようです。前回のものは折りたたみでは

ありませんでしたので、カバーはそのままでしたが、

 

カバーの上にホコリというかカスみたいなものが

大量に落ちるのと、なかなかそれが落ちないという

ことがありました。

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こっちの方が音が静かだった

組み立て完成後、

さっそく飛んでみたのですが、

 

驚くべきことに、前回に比べると確かに静音なんです。

 

ガシャコン、ガシャコンと鳴っていたのが

シュオン、シュオンになりました。

値段も半分以下でこのクオリティーなら申し分ありません。

 

耐久性はしばらく使用してみないと分かりませんが、

これなら及第点ということになりました。

まとめ

値段がとにかく安いということですが、後は

壊れたりしないことを祈るしかありません。

 

トランポリンもあれば乗って飛ぶということに

なりますので、

 

あったほうがいいということになりました。

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「ですます調」と「だである調」検索上位なのはどっち?

「ですます調」と「だである調」は

どちらが正しいのか、これは

子供のころからの疑問でした。

 

元々わたしは、作文というものが

本当に嫌いでして、

将来、文章を書くことだけはや

りたくないと思っていたのに、

 

どういうわけか、今こうして

文章ばかりを書くという状況は

もはや「宿命」だったのかと

思うくらいです。

 

仕方なく書き始めた時には、

「ですます調」で書くという

気にもならず、何となく、

権威性の高い「だである調」で

 

書き始めたのでした。

 

そして、今再び、

 

「ですます」なのか「である」

のどちらかを選ばなければ

ならない状況に立たされているのです。

 

「事実どうなんだ?」

「どっちでも良いはずではなかったのか?」

 

たしかに本のベストセラーですと、

「だである調」で書かれている本も

たくさんありますので、どちらでも

構わないということになりますが、

 

Web上でも場合はどうなのでしょうか。

 

そのほうが検索上位にくるという話しを

聞きましたので、なにかそのような

アルゴリズムなり何なりで、グーグルが

仕掛けをしているのではと思ったのですが、

 

単なる使い分けにすぎなかった

    • あなたはこの記事に書かれている情報を信頼するか?
    • この記事は専門家またはトピックについて熟知している人物が書いたものか? それとも素人によるものか?
    • サイト内に同一または類似のトピックについて、キーワードがわずかに異なるだけの類似の記事や完全に重複する記事が存在しないか?
    • あなたはこのサイトにクレジット カード情報を安心して提供できるか?

    webmaster-ja.googleblog.com

 

これらの項目を見る限り、

「ですます調」になると

良質なサイトとして判断しないとは、

一言も書いていないようです。

 

実際に「だである調」で書かれている

サイトでも上位にきています。

 

あまり関係なかった、ということになります。

 

それでも最初は「だである調」を

選んだわたしなのですが、

 

単なる権威性などのイメージ

だけだったのでしょうか。

 

「だである調」のほうが速く書ける

 

ですます調の文章のほうが、

読むのに時間がかかるということもありますが、

 

だである調のほうが圧倒的に早く読めることもあり、

比較的に内容も入ってくるということもあります。

 

リズムの問題もありますが、文章の力だけで

押し切ることが出来ますが、それができないのです。

 

本当なら「だである調」で書きたいのです。

 

では一体なぜ、「ですます調」にする

しないの話しになっているのかといいますと。

 

ですます調に寝返った

わたしは「だである調」を捨て、

「ですます調」にシフトしました。

 

なぜそうしたのか、

 

そのほうが、コンテンツ的に少し長くなる

からです。

 

わたしの場合、

子供の頃からどうやったら

作文の文字数を増やせるのかで、

悪戦苦闘してきた歴史がありました。

 

何とかして、文字数を増やさなければと

「漢字を全てひらがなにする」

「不要な行変えをする」

などして、

 

400字詰めの原稿用紙を

埋めるにはどうしたらいいかだけを

考えていました。

 

そのときから、「だである調」でした。

 

しかし、語尾を少し変えた程度で

文字数を稼げるというのは何だか

変な話しに聞こえるかもしれませんが、

 

所謂「フロー状態」が少し抑えられて

いるので、消耗という点では集中できる

時間が長いということが言えるのかも

しれません。

 

「あれ、書きすぎてしまったなあ」

ということがよくあります。

 

これは、以前のわたしでしたら

信じられないことなのですが、

 

どうやって減らすか、という

新しい悩みが発生したのです。

まとめ

「だである調」と「ですます調」の

検索上位との関係性はないとのこと

でした。

 

それでも、長いコンテンツの方が

「優良なコンテンツとして

アルゴリズム的にも判断される」

ということになりますので、

 

結果として文字数が増えた

「ですます調にしよう」という

ことになりました。

 

人それぞれにスタイルとしての

「だである調」というのもあると

思いますので、

 

また、そのようなテーマでも書きたいと

思います。

京都のカフェ

最近はスタバに行っていたのですが、

結局飽きてしまいました。

 

それでも、

カフェに通い続けていることを考えると

相当のムダをしているのではないかと

思ってしまいました。

 

タリーズにも行ってみたのですが、

やはり数回で飽きてしまい、

 

いっそのこと、それ以外の選択肢は

ないものかと思い、

 

以前から気になっていた

 

ボンボンカフェというところに

行ってみました。

 

有頂天家族というアニメが好きで

見ていたのですが、

 

たしか、劇中で出てきたカフェが

ボンボンカフェがモデルにだった

という話しを後で知り、

 

もしも、京都に行く機会があれば

行ってみたいと思っていたのですが、

 

偶然にも、今は京都に居るということ

になってから、1年は経ったのですが、

こうも近くにあると、行かないという

感じになっていました。

 

昼間、通りかかっても、ああ人いっぱい。

ほぼ、観光客しかいないのだろうと、

スルーしていたのですが、

 

今回はどうしてもスタバに飽きてしまった

ということもあり、後、意外と遅くまで

やっていたということもあり、

 

行ってみることにしました。

 

で、着いたのですが、

人がいない

客が一人もいないんです。

店員さんは男性が2人いました。

中は妙に照明が明るいのですが、

 

外から見る限り、客が1人もいない

 

まさかの貸し切り状態でした。

外は雨が降っていて、夜の7時半

くらいでしたが、

 

スタバですと、閉店ギリギリまで

人はけっこう入っているのですが、

 

誰もいませんでした。

 

何だか入りづらいなあと

思いながらも、入って

2階のロフトみたいな

席に着きました。

フレンチトーストが有名

コーヒーとフレンチトーストを

注文しました。

 

作業する目的もあったのですが、

小腹が空いていたので、その有名

だというフレンチトーストを

注文しました。

食べ物の写真を撮らなかった

で、しばらくすると、その

フレンチトーストが運ばれて

きたのですが、

 

見ためはけっこういい感じでした。

 

横にメイプルシロップと生クリーム

がそえてあり、フレンチトーストは

3✕15センチくらいの細長いサイズ

でしたが、

 

ちょうど食べやすい状態になっていて、

表面にはグラニュー糖がまぶしてあり、

そこに、付属のメープルシロップ

生クリームを塗って食べるようです。

 

で、実際に食べてみると、かなりの

アツアツで、中身も卵とパンとが

完全に一体化していて、というよりは、

 

パンという感じは一切なく、カリっと

した中にプリンのような食感がある

ようです。

 

スタバと比較するのもなんですが、

ストレスは全くありませんでした。

 

人が全くいなかったからだと思いますが、

また行くかもしれません。

 

第2期があるそうです。

uchoten-anime.com

広告を非表示にする

今治タオルというものを買ってみた

タオルが腐った。というよりは、

ガサガサしてこれ以上は無理という

ことになりまして、

 

急遽、さがしにいくことになって、

無印で見てみたのですが、

 

一枚で2000円と割に高いので、

ここはアマゾンで探すしかないかと

調べました。すると、

 

今治タオルというのがでてきたので、

「何だ?」と思ったのですが、

 

いわゆる愛媛県は「今治」という地名で作っている

タオルらしく、瀬戸内海の左の方です。

 

色々と比較したのですが、これが一番良さそうでしたので

ポチったのですが、変な柄だけど少し安い(1枚1000円くらい)

を見つけました。

 

余った糸で作ったらしい

中途半端なところで糸が余るのでしょうか、

それを捨てるのにも費用がかかるということで、

 

だったら、それを使ってタオルにできるのでは、

という発想から生まれたようです。

 

当然、柄は選べないとのことで、

 

届いたのがこれです。

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2枚とも同じ柄だった

まあ、色はいいのではないかと、

レビューを見ると、2枚とも違う

柄が届く場合もあるらしいのですが、

 

同じ柄でした。

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数日つかってみて

最初は、普通のタオルの印象でしたが、

これは髪の毛の水の吸収が以前よりは

格段に良くなったと言えます。

 

タオルは何でも同じかと思っていたのですが、

ここまで違うとは少々驚きでした。

 

ぜひ、おすすめです。

そんなにモテたいのならこの3つをやりなさい

異性にモテるという悩みというのは、

どういうわけか、時代をこえても変わらず

存在し続けています。

 

服装のセンスを何とかすればモテるのでは

ギターを弾けるようになれば人気が出るのか

などと考え、構わずやってみてはみたものの、

んん〜何か違うなと、思ったのですが、

 

これといった解決策になるものが、まるで

ありませんでした。

 

じゃあ、ナンパをすればいいのではないか

という考えもあるのかもしれませんが、

冷静に考えると本当にそれはモテているのではなく、

数を打てば当たるという、単なる確率の話しに

なってしまいます。

 

つまるところ何が言いたいのかといいますと、

 

「在り方」を変えます。

 

モテるという現象を引き起こす為の

行動をしている状況にあるかどうかです。

 

テクニックの話しをすれば誰でも

ああこういった服をきればいい、

聞き上手になりましょう。など、

あるかもしれませんが、

 

仮にそれらのモテるとされる方法を

1000個ぐらい確実に覚えて実践しても

まず、モテることはないでしょう。

 

そこで、モテるためにできることは

本当に存在しないのかといいますと、

 

方法が無いわけでもないのですが、

 

正直、おすすめできないもの

でしたら、モテる条件として、

 

確実であろうというものが

あります。

 

1,飯の食い方を汚くする

まあ極端に言えば、

ブタみたいに食べるというです。

 

男性でも、

くちゃくちゃ言わせて食べる人は

ものすごく嫌がられたりしますが、

 

箸の持ち方をグーの字にして持って

食べるというやり方も有効です。

女性の場合であっても案外引かない

ものです。

 

「これは黙っていてあげよう」という

気持ちにもなります。

 

もしも、これが中途半端に食べ方が

悪いということになりますと、

 

単に「食事のマナーが出来ない人」

になってしまいますが、

 

インパクトがあれば、それはそれで

成立してしまうものです。

 

2,友達をムダに増やす

だれと構わずハイタッチして、

友達をどんどん増やしていく、

悪そうなのでも何でも構いません

ので、

 

そのようなパーティなりイベントなりに

出ていって友達を増やしまくるというのが

大切です。

 

友達の質よりも、知り合いの数で勝負する

といった感じです。

 

「人脈すごいね」

 

「そんなに顔広いんだ」

 

と言わせましょう。

 

コツとしては、

テンションを高めに設定することです。

 

頭のいい会話をするというよりは、

とにかく明るくて楽しい印象を

与えましよう。

 

極限を超えた、

ポジティブ・シンキングです。

 

全くといっていいほど意味のない

友達だとは思いますが、

 

そのチャラさが異性にウケるという

こともあるのです。

 

3,毎日を不健康に過ごす

ようは、「ゴホッ、ゴホッ」で

モテるというやり方です。

 

そこに、血でもついていたら

 

「どうしたの」

 

ということになります。

 

なぜか、健康なキャラクターよりも

少し持病をもったキャラクターの

ほうが注目されるのです。

 

今から、高原のサナトリウム

生活してくださいという話しでは

ありませんが、

 

「わたし病気なんです」

 

と、言っている人が案外、

性欲が強いということがあります。

 

そういった意味でも不健康な人の

ほうが事実モテているということ

になります。

 

まとめ

場合によっては嫌われるか、

自分にとってデメリットな部分も

あるかもしれませんが、

 

一時的にそのような生き方を

してみるのもありです。

 

事実これらの1つでも押さえていたら

モテることは確実です。

 

男、女、問わずモテる人というのは

これらのうち、どれかに当て嵌まる

ことが言えます。

 

ほかにも秘訣はあると思うのですが、

 

これにガチっと嵌まる人はいますので、

ぜひ試してほしいと思います。

クラクションを鳴らされない高級車

シバです。

 

昨日のこと。夕方散歩をしていたら、ある高級車が道でハザードを出して止まっている。

 

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それ自体はふつうのことかもしれない。

 

しかし、ここ京都では鳴らす。

本当に馬鹿みたいに鳴らしまくる。

 

普通に道を歩いていてもプッとか

鳴らしてくる。

 

そこだけは非常にマナーが悪い。

 

で、昨日驚くべき光景をみた。

 

けっこう狭い道なのだけど、バスも通るので、ハザード出して止まられでもしたら、後続の車は止められてしまうのだが、

 

その止まっている高級車の後ろに、これはこれは汚い、軽トラが大量のゴミをコンパネで抑えながらいたのだが、クラクション鳴らすどころか、少し距離をとっておとなしく待っているではないか。

 

通常なら、鳴らしまくりで、横につけて、窓あけて、「なんや〜ぼけ〜」などの罵り合いをしている(実際そういったことが五条あたりであった)ところであろうが、収入の差か、ヒエラルキーの差を感じたのだろう。微動だにしない。

 

結論からいうと

 

高級車が煽られることはない

 

非常にインモラルに聞こえるかもしれないが、煽られたくなければ高級車に乗れという話しである。

 

わたしの場合、ほぼ歩きなのだが、最近歩いていても鳴らされるので、少々むかついている。

 

ブランド品ふくめ、乗っている本人は関係ないどころか、単なる見栄であろうとおもっていたが、

 

ただ欲しいというだけのことでもなさそうである。

 

明らかに利点というものが存在する。

 

数十年前わたしは、ミッション(ギヤチェンジする)何のオプションもない車にのっていたのだが、ドンキホーテーの立体駐車場でエンジンをかけっぱなしでエアコンをつけて止まっていた。ガラスに何もしていないので前後ろ含めて白く曇っていた。で、職質を受けたことがある。何だか怪しいと思われたのだが、後にも先にも職質はされていない。

 

自動車=移動手段。と思っていたので、何の機能も装飾も洗車すらしていない車に乗っていた。まったくもって必要がないからそうしているのである。

 

しかし、怪しまれるは、信用されないは、モテないはで、良いことがなかった。

 

で、次買うなら高級車が良いと思っている。

 

維持費がかからず、値崩れせず、スーパーに買い物に行っても問題ないやつ。

 

あるかな

 

シバ