シバブログ

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自己認証とは何か

本当は自分の分を知るという内容で考えていたのですが、色々と調べていくうちに自己認証というは承認欲求のうちの一つということが判りました。最近どこでも話に聞くエイブラハム・マズロー欲求五段階説の話です。何だか難しそうですが、つまり他人に認められたいという欲求なのだそうです。このことを発見したこと自体はすごいことなのかもしれませんが、普通に生きていればよくあることです。

 

一般社会という集団の中に生きていれば、その中で自分が優れているのか劣っているのかということを誰でも思うわけでして、もしも他人からの評価なりが低いということになりますとそれはもう満たされないどころか、その場にいることさえ苦痛になるということになりかねないわけですが、所詮は欲望ですので、実際には脳の中で起こっている、心が反応しているという現象なのです。

 

それら全般的に他者承認と呼ぶのだそうですが、それにトリガーされている人たちってのが3つに分類できるということで,一つは上位承認、次に対等承認、最後に下位承認ということになっています。

 

そのまま抜粋して解説しますと、

上位承認というのはナルシスト傾向の強いひとで、他者に対する猜疑心の強く、他人が信用ならないから自分がそれを支配する存在でありたい、のだそうです。

 

対等承認というのは、平等フェアでありたいというよりは、人並みになりたいという劣等感からきたものなのだそうです。

 

下位承認というは被虐的な性癖を持つ人も含まれるそうですが、社会的、道義的な責任を負いたくないという人間で、他人に依存したい、保護されたいと思っている傾向があるのだそうです。

 

まさに世の中って感じですが、凡人の考えることを分析した結果こうなったということなのでしょう。100年くらい経ってもこの理論が通用しているのはいかにこれが本質をついているかということでもあります。或いはそのように仕向けられているのかもしれませんが、消極的になればなるほど他者承認ということになってくるのでしょう。

 

今回は他者承認ではなく、自己承認について書こうと思っていましたので、ようやくその本題に入っていきたいと思います。前述しました、他者承認は上位、対等、下位の三つに分けられるということで、それらどれをとっても立派なものではありませんでした。戦々恐々としているしているだけで、これではもう動物と変わりません。

 

ナルシストにしても人並みを求める劣等感にしても被虐的な無責任無頓着な人にしてもロクなものじゃないことは明らかですので、何としてでも他者承認という低俗さから抜け出さないことには、言ってしまえば不幸な人生であることは間違いないのです。中には社会的に成功している人もいるのかもしれませんが、それは単なる野心に過ぎないので、それが崩れたらおしまいなのです。一時的に勝った成功したとしてもそれが恒久的に保証されているなんてことはありえませんので、どんなにナルシストであってもそれが崩されたら終了ということになります。

 

で、その自己承認ですが、どういうことなのかといいますと、自分の分を知るという意味なのだそうです。分を知るというと何となく制限付きなイメージに捉えられることがありますが、自分がいまその位置にいるのかということを冷静に認識するということですので、アンビション(野心的)で身の丈に合わないことをやるということではないのです。また、他人に対しても消極的なネガティブな考えというものがあるわけではありませんので、他人の失敗を喜ぶなんてこともないわけです。

 

最近気になっているのがタイガー・ウッズの話なのですが、これもよく聞くことなのですが、彼は対戦相手のプレイに対しても「はずせ!はずせ!」なんてことを心の中でも念じたりはしないのだそうです。逆に「入れ!入れ!」と思っているのだそうです。これというのは、彼自身が対戦相手に対しても非常に高い基準と質の高いプレイを求めているということでもありますが、もしも、彼が逆に対戦相手がパットを外して優勝してやったやったと喜んでいるような人でしたら、当然成功などしていなかったと思われます。何もこれは人間性の話ではなく、これこそがまさに自己承認をしているということなのです。自分の存在が自分の求める理想とする自己像になっているか、ということで自らを承認するわけですから、他人からの承認ではなく自らを承認しているということになります。

 

野心というは身の丈にあわないということをするわけですから、結果てきにはその人の人生は不幸になっていくわけです。いきなり、150キロのベンチプレスを上げろと言われても無理なものは無理なのです。そのことに満足できないと言っているのがアンビション(野心)なのです。そう考えると本当に意味がないものです。

 

つまるところ、劣等感というのも結局は自己承認の問題なのです。あたかも、強い野心が人を成功させているなんて考えられていますが、実際にはみな冷静に自己認証してきたということなのです。成功とはつまりその結果の連続なのです。

 

さらなる高みを目指すもよし、今を喜ぶもよしです。